場所
山内(やまうち)
山神さまによって開かれたと伝えられる世界。四つの領(北領・南領・西領・東領)とそれを区分する十二の郷によって構成されている。
山内全体の世界観は山形県山形市「宝珠山・立石寺」(Google画像検索)を参考にして書かれている。
※モデルとなった実際の地について
哨月楼、桜花宮、朝廷、後宮などは東京都目黒区の「目黒雅叙園(めぐろがじょえん)」(Google画像検索)を参考にして書かれている。
また、花街は台湾の「九份(きゅうふん、ジォウフェン)」(Google画像検索)を、大門前や桜花宮前の舞台は京都府京都市東山区清水の「清水寺(きよみずでら)」(Google画像検索)を参考にして書かれている。
中央
中央山を中心に四家の当主の邸宅があり、おおきな街として賑わう山内の中心部。各領はここを中心にさらに四方の山の外側に位置しており、関所によって隔てられている。そのため中央は「山の内側」と呼ばれる。
【中央山】
山内の中央に位置しており宗家の邸宅、朝廷などがある場所。雲まで伸びる高い山の斜面に懸け造りて建てられている。
中央山の中にある山内の政治の場。大門から入ってすぐの空間が吹き抜けになっており、それらを囲むように何層にもわたって欄干が取り付けられ、その一階一階に各部署が構えられている。
吹き抜けの中央最下層は『朝庭(ちょうてい)』と呼ばれる。
金烏陛下の正殿であり、政治の場である朝廷の中心地。四家を集めた御前会議などが行われる。門扉と欄間には鈴が取り付けられており主君の入退室時にのみ鳴らされる。
大門から反対の北側最上階にある金烏の玉座の間。典礼の際にのみ開かれる。
官人が使用する、山の中へと至る正面門。
断崖に建てられた朱色の大きい懸け造りの門で、形は普通の屋敷の門と変わりはないが、大人が5, 6人手を回してやっと一巡り出来る程の太い柱で造られている。
日嗣の御子の后「桜の君」が統括する宮。桜の君の住居。また日嗣の御子が后を選ぶために開かれる場でもある。その際大貴族四家から各一名后候補の姫をここへ登殿させて住まわせる。
籐花宮を中心に左右に懸け造りの建物の春殿・夏殿・秋殿・冬殿が位置しておりそれぞれの殿は渡殿によって繋がれているが籐花宮へは藤花殿のみが直接繋がっている。
桜花宮の中央、藤花殿の奥に位置する大紫の御前の住まう後宮。藤の花の紋が入っている。
桜の君が決るまでの間、管理を任される女宮が住む屋敷。藤波もここに住まう。
春殿(はるどの)は東家、夏殿(なつどの)は南家、秋殿(あきどの)は西家、冬殿(ふゆどの)は北家の姫に与えられる屋敷。
中央の藤花殿から春殿・夏殿のある東側へ繋がる門
中央の藤花殿から春殿・夏殿のある東側へ繋がる門
舞台と桜花宮の間に立つ門。紫の地に金色の桜の花と大きく羽を広げる三本足の赤い烏が刺繍された、大きな幕が掲げられている。
桜花宮の正式な入口。飛車などが降り立つため広い造りとなっている。
宗家近衛隊山内衆を育成するための養成所。中央山に位置する。詳しくはこちら。
中央にある貴族たちの住む区域。
浜木綿の実家の屋敷内の庭園。浜木綿の父が浜木綿の母夕虹のために作らせた。夕虹が美しい花を好むため商人らが競って珍しい花を届けるため「華音亭」と名付けられた。常に何かしらの季節の花が咲き乱れている。
南本家の菩提寺。浜木綿が幼少期預けられた育った寺。浜木綿の他にも多くの山烏の孤児が神官にまじって勤行し生活している。
中央山の山腹にある構える大神寺。
華やかな歓楽街。谷間とは違い健全な遊び場。夏には五日間の夏祭り「鬼灯祭り」が開催される。鬼灯祭りでは特別の舞台が用意され花街のそれぞれの妓楼から選ばれた舞姫がこの日のために練習した踊りを披露し、唄や演奏は谷間の芸妓(げいき)が担当する。
中央の高級花街にある若宮の行きつけの店、また勁草院院生の行きつけの店でもある。地下には立派な神壇がありその奥には谷間に続く隧道がある。
中央城下の大店。清良の実家。
中央城下の呉服屋。一時期羽緑が奉公人として過ごしていた。
中央城下の湖沿いに芝居小屋が連なる一角があり、奥では役者見習いの男子が色子として売り出されている。
元遊女たちが生活している場所。中央にいくつかに分けて設けられている。羽林天軍が常駐し、力仕事や見張りを行っている。
女工場の中でも一番最初に作られもっとも手広く活動している施設。場所は南領と中央の領域にある山の裾野である。主に災害に強い作物や薬草の栽培と研究を行っている。
西領に近い女工場。大量の最新式の機織り機があり、丈夫で安価な布の生産がおこなわれている。
中央山の隣、北西に位置する山。
凌雲山の峰にある離宮。もとは出家した宮烏が移り住む寺院が林立する静かな場所。凌雲院と紫雲院の敷地を合わせて凌雲宮と呼ぶ。
二度目の猿の出現以来猿の侵入経路の中央からここに朝廷の機能が移されそれに伴い多くの八咫烏も中央山から移り市も立ち賑やかとなった。
譲位を行った金烏代のために設けられた後院。
凌雲院の隣に建てられている出家した女官のための寺。
数代前の内親王が山内における医薬の発展を願って建立した寺。一通りの伽藍は揃っているが凌雲院や紫雲院に比べて見た目は質素。
猿の襲撃で朝廷の機能が中央山から凌雲山に移された際に桜花宮の機能を引き継いだ寺。凌雲宮の裏手、大路付近から大きく離れた場所に位置する。
四つの領
それぞれ四家の当主が収める地。
北領(ほくりょう)
武人の里で武術を得意とする武家である。中央鎮護軍の「羽林天軍(うりんてんぐん)」の総括を北家の領主が担う。また宗家護衛軍「山内衆(やまうちしゅう)」や山内衆養成学院「勁草院(けいそういん)」の院士にも北領の者が多く在籍する。属する郷は「垂氷郷」「風巻郷」「時雨郷」。他の領よりも土地が細い。
垂氷郷で最も大きな宿場。
垂氷郷の旧街道の執着点に位置する集落。寛烏七年大猿の襲撃により壊滅。
風巻郷の果てに位置する集落。茂丸、エイタの住む集落。栖合と同じく寛烏七年に大猿の襲撃に合うが、襲われたのが集落から一件離れた「下屋敷」のみで集落全体が壊滅する事態にはならなかった。エイタはこの下屋敷の住人であり、襲撃後行方不明となっている。
集落から一件だけ離れた旧街道沿いの古くて大きな屋敷。一本道とはいえ普段はあまり交流のない所で、風巻の集落へは子供の足では気軽に来られるとは言えない距離にある。
元々は別の集落の中心となる旧家。旧街道が使われなくなるにつれて集落としての体制を保てなくなり、いつのまにか下屋敷一件だけが離れた場所に取り残された。
郷長屋敷にほど近い山寺のある郷。
北領で最も大きな町。中央から垂氷、風巻、時雨などの各郷へ行くには必ず通る町。
【南領(なんりょう)】
商人の里。交易を得意とする。属する郷は「南風(はえ)郷」など。
千早の故郷。綿花の生産で有名。山内で最も綿の栽培に適した気候で、中央の住民の衣服となる木綿はほとんどが南風郷で生産されている。
西領(さいりょう)
職人の里。手先が器用で物づくりを得意とする。属する郷は「有明(ありあけ)郷」など。
澄尾の出身郷。
勁草院での雪哉対翠寛院士の兵法盤上訓練(雪哉が勝利した最後の対戦)の際登場した寺名。有明郷にある。
東領(とうりょう)
楽人の里。歌や楽器の扱いを得意とする。属する郷は「鮎汲(あゆくみ)郷」など。
治真の故郷。作中には「藤道(とうどう)」「海鳴寺(かいめいじ)」の地名、寺名が登場する
勁草院にて雪哉らが翠寛院士に初めて兵法の盤上訓練を受けた際登場した寺名。鮎汲郷の藤道という地域にある。
怜と倫の出生郷。
花祭りが開かれる郷。郷帳屋敷と号で最も大きな寺院は、花山と呼ばれる山の麓に存在している。
麓に東風郷の郷長屋敷と郷で最も大きな寺院が存在している。花祭りの時期には、一斉に花を咲かせる。
東本家の敷地内にある楽人の養成所。「才試み(さいごころみ)」という試験に受かると宮仕えができるようになる。山烏であっても実力さえあれば当代限りで主要な式典で演奏ができる程度の身分を与えられる場合もある。
三つの門
外界と通じる門。山内には三つあると伝えられている。
山の中心、金烏の住まう御所の奥深くにある禁域の頂上に続くように建てられている門。鍵が掛けられ封鎖されており、その鍵は“真の金烏”のみが外せる。
外界の天狗との交易を行う際に使用される門。守礼省(しゅれいしょう)が管理している。
未確認の門で谷間の地下街が所有しているとされる門。門は大きな岩で封鎖されておりその奥には猿の住む外界と繋がる洞穴がある。洞穴のモデルは沖縄県南城市玉城字前川にある鍾乳洞「玉泉洞(ぎょくせんどう)」(Google画像検索)
山内その他
谷間(たにあい)
遊郭や賭場なども認められた裏社会。表社会とは異なるものの独自のルールが確立された自治組織。
谷間に住まう者を統括する幹部の住処。余所者の立ち入りは滅多にない。谷の起点となる所に入り口がある。真上は山の手に当たる位置関係。
花街から退いた芸妓(げいき)が暮らし、お披露目前の遊女を仕込む場所。谷間にある。
中央と各領の間に設置されている。地方領から中央へ入るには必ずここを通り通行証を貰わなければ入れない。
山内の内側と外側を区切る堺。山内は出るには容易いが入るには難しい構造をしており、正式な手順を踏まず外へ出た八咫烏はただのちっぽけな二本足の烏になり外界で一生をそのままの姿で生きなければならなくなる。そのため近づかないようにされている。通常の八咫烏なら境界を超えずとも近づいただけで気分が悪くなる。嫌な匂いではないが変な匂いがし、足元がおぼつかず物が二重に見えてくる。雪哉は『空きっ腹に、強い酒を一気に流し込んでしまったような酩酊感』と表現している。
たまに落とし穴のように八咫烏の居住地にほど近い場所にも外界と接した場所が生まれてしまうことがあり、それを“綻び”という。また言い換えれば山内を守る結界が弱くなっている場所。
“綻び”のある場所に建てられ禁域とされる場所で、白烏(はくう)が管理しており神聖な場所。
山内に多数存在する、山神を祀る寺のひとつ。拓滂が院主をつとめる。
外界(人間界)・神域
外界(がいかい)
山内の外側にある世界で、人間や天狗が住んでいる。通常、門を通る事でしか行くことが出来ない。
ただ、正しい方法を使わずに外に出た場合八咫烏は八咫烏では居られず、小さな2本足の烏になり、外界で一生をそのままの姿で生きなければならなくなる。
山奥にある小さな村。一方を龍ヶ沼、その他三方を山に囲まれた集落。
山奥にあるとは思えない程の豪華な日本家屋や立派な西洋風の家が田畑の所々に建っている。
かつて、志帆の祖母である久乃や母である裕美子が住んでいた。
5月のゴールデンウイークの頃には毎年山の神様をお迎えして感謝をするお祭りが開かれているが、その実態は山の神様への御供物として若い娘を捧げる儀式である。
山内村の近くに位置している。沼という名前がついているものの、実際はかなり大きな湖である。
その名の通り、龍ヶ沼には元々龍が住んでいたとされている。
周囲は山に囲まれており、その中央には小さな島が浮かんでいる。島には神社があり、鳥居と、岸と島とを繋ぐ赤い橋がかけられている。
龍ヶ沼の中央に浮かぶ島のお椀型をした山。神がいるとされており神域と繋がっている。
新宿区のいくつかの大学に囲まれた昔ながらの町並みを残す地域にある商売っ気を感じない古いたばこ屋。創業六十年を超えていて、安原はじめの大学時代の行きつけであり、前の店主の高齢の未亡人であるトシばあちゃんから買い取った。
店舗と住居が一体となっており、一階の店舗裏に便所と風呂場と台所、二階は物置と万年床になっている。
神域(しんいき)
山神さまの住まう地。外界と山内の境界に存在する。
荒山から神域への洞窟を抜けた先にある大きな泉。学校のプールほどの大きさがあり、半円に近いおだやかな三日月形を描いている。水が湧き出ていて、水面が波打っている。
泉に包まれるように中央には、岩と言った方が近いほどの丸い巨石が置かれていて、泉の周囲だけには木が生えていない。
また、この泉は俗世の穢れを洗い流すために用いられている。
勁草院(けいそういん)
山内衆養成所。ここへ入る事を「峰入り(みねいり)」または「入峰(にゅうぶ)」と言う。満年齢で十五歳から十七歳の男子に入峰資格があり、才覚さえあればその身分は問われない。入峰すると三年間卒業までこの施設内で生活する。元々は山神を祀る寺院であったため、敷地は広く豪華な造りとなっている。
勁草院所属の院生であることを示す身分証となる腰刀で常に持ち歩く事、また院生でなくなった時点で返却が義務図けられている。万が一紛失した場合その時点で勁草院から追い出される。鞘は黒塗りでさりげない装飾が施されている。本物に見えるがよくできた竹光。勁草院を卒業出来た者は珂仗の返却と同時に本物の太刀が与えられる。
学年ごとに違う色の飾り玉となっており、進級しても色は変わらず荳兒の際に決められた色を三年間使用する。新入院生荳兒のカラーは、その年卒業した全貞木の色を引き継ぐ事になる。
雪哉入峰時の飾り玉の色は荳兒は緑、草牙は白、貞木は黒となっている。
- 風試(ふうし):一年目荳兒の学年末進級試験
- 霜試(そうし):二年目草牙の学年末進級試験
- 嵐試(らんし):三年目貞木の勁草院卒業試験
勁草院では三年間で三つの試験に合格しなければ卒業できない。各試験はそれぞれの学年末に行われ、一年目、荳兒の学年末試験『風試』に合格することで二年目の草牙へ進級できる。同じく草牙の学年末の『霜試』に合格で貞木へ、そして最後三年目の貞木学年末の『嵐試』に合格することで勁草院を卒業となる。
三つの試験の中でも『嵐試』が一番難解で、ここで良い成績を収めないと山内衆になることが許されない。
日の出と同時に起床、すぐに朝の鍛錬、その後朝食。朝餉と昼餉は作ってもらえるので膳を並べるだけでいい。食べ終わったら膳を片付け荳兒はそのまま食堂に机を並べて座学。
午前は座学ばかりで午後からはほとんどが実技科目。道場は授業で最後に使った者達が片付ける。夕餉の手伝いは坊ごとの当番制で月初めに分担表が食堂の入り口に貼り出される。
特別な夜間訓練が入っていない場合は夕餉の後は定められた授業は存在しないが、課題が山ほどあるため慣れるまでは睡眠時間を削っても座学の課題をこなすので精一杯となる。
授業とは別に院生同士の研究会や授業で習わない応用武器を先輩が教えてくれる講習会などがあり、自由参加となっている。
起床時間と講義の始めと終わりには鐘楼の鐘が鳴る。それ以外に緊急事態があった想定で抜き打ちで招集がかけられる『奇襲』があり、その際も鐘楼の鐘がなる。奇襲はいつ訪れるか決まりがなく就寝中や食事中でも招集がかけられる可能性がある。奇襲の際は珂仗のみ持って大講堂前の広場へ集合することになっている。
勁草院で身に付ける素養
緊急時に文官と同じ権限を与えられる山内衆として身につけるべき必須の事項。
礼・楽・射・御・書・算の六つの芸事を指す。「礼楽」「弓射」「御法」「書画」「算法」の五つの科目にまとめられている。
容儀帯佩、宮中道徳。力の付け方ではなく身に付けた力をどう行使するかを学び、力ばかりあり余って理性なく暴走しがちな獣を立派なひとりの山内衆(にんげん)にするための授業。
弓を扱う技、また馬に乗り弓を射る技。実技授業。
詳しい記述なし。
詳しい記述なし。
兵・剣・体・器の四つの術を指す。「兵術」「剣術」「体術」「器術」の四つの科目にまとめられている。
用兵術、兵法を学ぶ授業。荳兒では座学授業だが草牙、貞木になると実戦形式の実技演習授業となる。
剣の腕を磨く実技授業。
徒手格闘を習う実技授業。
槍や手裏剣投げなど、刀や弓以外の道具をつかった戦闘技術を身に付ける実技授業。
医・法の二つの学問を指す。「医薬」「明法」の二つの科目にまとめられている。
いざとなった時の傷病に対応するため知識を学ぶ。
朝廷の法令、山内衆が力を行使できる範囲を学ぶ。
胸の上で両手を重ね、手のひらを上へと向ける姿勢。鳥形になった時に現れる三本目の足を相手に捧げる行為を模した形。
元々は雪哉に座学の課題の勉強を教えてもらう集まりだったが、雪哉が他人にものを教えるのが信じられないぐらい下手であった為仕方なく「雪哉の課題を写させてもらう会」となった。
はじめは雪哉の坊、二号棟十番坊で行っていたが参加者が三名を超えた時点で空き部屋へ移動した。
参加者は茂丸をはじめ桔苹、久弥、辰都など座学に弱い平民階級の者ばかり。
後に、教えるのが雪哉に比べればマシで頭も良い明留が参加したことで元の「勉強会」となり、明留はそこで仲間から「坊(ぼん)先生」と親しみを込めて呼ばれるようになる。
翠寛に代わる新たな『兵術』の演習担当教官を選出すべく、研究会という名目で催された選考会。山内衆や羽林天軍の士官、在野の兵法研究家などの中から、腕に自信のある者が笙澪院に集い対戦した。最終的に元山内衆の男が教官に選ばれるも、この選考会において最も名を上げたのは雪哉だと言わしめる事になり、この対戦から雪哉は『勁草院の麒麟児』と言われるようになった。
勁草院生は皆同じ形の羽衣を編み、院生活中はその格好をするよう命じられる。実践で動きを阻害しないため極力無駄を省いた急所を守るつくりになっている。
袖は袂がない筒のような形で、肘の部分できゅっと絞られている。袴の膝下は脚絆と足袋がつなぎ目なく一緒になっている。胸から腿にかけては襴(らん)のついた胴巻きで覆われ、その上から帯を巻いているので一見して袍(ほう)を来ているように見えなくもない。関節を守るため膝と肘の部分を何重にも重ねて足裏と同じくらい厚くしてしっかり編み、体にぴったり固定するようにする。
珂仗はそのまま鳥形に転身できるような佩刀の仕方をする。また珂仗は正しく使えば大烏(うま)に転身した際に轡や鐙の代わりとなる。
(公式ビジュアル:シリーズ第四作目:「空棺の烏」の表紙絵)
名称・集団
八咫烏
山内の世界の住人たち。卵で生まれ烏の姿に転身もできるが、通常は人間と同じ姿で生活を営む。日が暮れると転身する力を失ってしまう。そのため鳥形のまま日没を迎えれば翌日の日の出まで人形に戻る事ができない。その逆もまたしかり。
多くの八咫烏は基本的に鳥形になることを恥であり行儀の悪い事とし、宮烏は一生を人形(じんけい)で過ごす。烏の姿となって働かなくてはならない者以外はなるべく人形で過ごしたいと思うのがこの世界の普通である。
この地を司る族長一家「宗家(そうけ)」の長。金烏代は真の金烏が生まれなかった際の“代理”である。
八咫烏とは全く違った生き物。何十年かに一度の割合で山内に生まれる、八咫烏を統べるための全てを兼ね備えた存在。通常の八咫烏には出来ない不思議な力を持ち、奇跡を起こす。
真の金烏は禍(わざわい)を呼ぶと言われ、過去本物の金烏に統治された時代は反乱や政変、水害、飢饉などの天災までもが降りかかる。道理から外れた践祚をしたので山神さまがお怒りになったためではないかとまでと言われている。しかし実際は、そのような事態に対処するために真の金烏が生まれるのだという。
夜間でも転身ができ、昼間のように空を飛ぶ事が出来、鳥形になればどんな八咫烏よりも大きく立派。通常の八咫烏は外界に出れば正しい手順を踏まなければ戻ってこれないが真の金烏は自由に外界と行き来できる。また、八咫烏を殺せない。禁門の鍵を開けることができる。
【過去の真の金烏の起こした奇跡】
奇跡を起こした過去の金烏の逸話として枯れ木に花を咲かせたり、杖を突いた地面から水が湧き出たと言う話もある。
【若宮殿下の起こした奇跡】
手を触れずに紫宸殿の鈴を一斉に鳴らした。山内の結界の綻びを不思議な弓で繕う事ができる。
族長を金烏と言い表すことから、皇后は赤烏と呼ぶのが正式の呼び名である。しかし宮中に上がった女たちの間でその言い方をされることはめったになく、一般に「大紫の御前」と呼ばれる。
神事を司る長であると同時に宗室典範の審判者。真の金烏を決める者。日嗣の御子になるためには白烏の承認が必要。
黄烏の尊称。
『青烏坊夜話(せいうぼうやわ)』 という書物がある。第二作目【烏は主を選ばない】冒頭詩文に記載。現在はあまり使われないが、かつては皇太子を表していた。
現在はあまり使われないが、軍権を握る一番の者を指していた。
赤烏のこと。宗家の紋は『日輪に下がり藤』であり、紫は皇族以外には禁色であることから、最も力のある女宮の事を大紫の御前と呼ぶ。
日嗣の御子の妻のこと。日嗣の御子が金烏として即位され、自身が皇后となるまでは正式に宗家の者として認められないので紫に準じる浅紫の衣を使用する。それが桜色に見えることから「桜の君」と呼ばれる。
式典の際などで白烏の代理を務める。
羽林天軍を統括する長。北家当主が代々務める。
宮烏(みやがらす):貴族家生まれの八咫烏の事。
- 中央貴族:四家を中心とする家柄の貴族。
- 地方貴族:郷長家などの家柄の貴族、地家(じけ)と呼ばれる。中央貴族に比べもともとは正当な貴族でない成り上がりのにわか貴族であるため、中央貴族からは所詮田舎者と見られている。
町中に住み商業などを営む者。
地方で農産業などに従事する庶民。
宗家と大貴族四家
金烏、つまり族長の一族のこと。
遥か昔、山神様がこの地にご光来した時、自らの代わりに山内を整する事を命じられた金烏が、現在の宗家の始まりだと言われている。
山の中に朝廷を築き生活している。
中央山の北側の領地を治める北本家。代々当主は羽林天軍の長、大将軍を務める。
北家系列の一族。
中央山の南側の領地を治める南本家。天狗との交易の主導権を有する。交易は山の外の天狗と行われるため唯一外界に出ることが許されている。
南本家の側近として長く仕えている一族。南家邸宅に最も近い場所に屋敷を構えている。
中央山の西側の領地を治める西本家。
中央山の東側の領地を治める東本家。
東家系列の一族。
中央朝廷行政機関
雪哉の近習の際の官服の色は水浅黄色。藍としてはごく薄い色で位が最も低い。雪哉の官服は礼服をずっと簡単にした短めの袍(ほう)で、動きやすいように両脇が縫い付けられていない。袖口には袖括りの緒が垂れている。梓が手ずから縫ってくれた物で縫い目は細かく丁寧に仕上げられている。
阿部先生の創作ノートの写真があります。
椙山女学園大学トークイベント 「和風ファンタジーの可能性」阿部智里×大矢博子 #八咫烏シリーズ サイン会も盛り上がりました。ご参加くださった皆様ありがとうございます。 pic.twitter.com/jgmxcQlpMm
— 文藝春秋プロモーション部 (@bunshun_senden) June 26, 2016
外界の天狗との交易を管轄する省で歴代の南家当主が長を務める。
喜栄の勤めている部署。
兵部省の部署のひとつ。文がここに届くため雪哉が若宮宛の文を受け取りに足を運ぶ。
武装軍隊
宗家近衛隊。藤花宮や桜花宮などの御所の警護に当たる。
また山内衆には、その養成機関である勁草院で三年間、訓練を積んだ者だけが成ることが出来る。
緊急時に文官と同じ権限を与えられる。宗家金烏一族の警護が職分で、宗家の者に直接指示を仰ぐ他の兵とは一線を画す精鋭集団。
普段は宗家女房として仕えているが、有事の際は警護や戦闘にあたる者達。
自ら鳥形になって戦う事もある。
中央鎮護のために編まれた軍。大将軍が取り仕切る。別名『羽の林(はねのはやし)』とも呼ばれる。
その他種族
外界と山内のはざまの神域に潜み暮らす種族。元は八咫烏と同等の存在であったが初代金烏の頃に外から山神と雄烏が来たことにより種が衰退することになる。
人間の肉を食うことで力をつけ愚かになり凶暴化した。食べない猿は小さいままである。
人間に化け人間界に住む種族。朱雀門より山内へ行き来し、人間界の品で山内と交易関係を結んでいる。
正体不明の山の怪音「天狗倒し(てんぐだおし)」、どこからともなく小石を降らせる「天狗礫(てんぐつぶて)」、ひどく屋根を揺らす「天狗のゆさぶり」といった現象を引き起こす特殊能力を持っている。
天狗の長。烏天狗を従える。八咫烏との交易の際は鼻の高い天狗の面をつけている。
大天狗に仕える天狗。八咫烏との交易の際は烏の面をつけている。
神関連
山内に豊かな土地と実りを与える八咫烏全ての神とされる存在。長らく伝説と思われていたが実在しており、元は外界(人間界)の神。外界の雄烏に導かれ山内へやってきた。
賀茂別雷神の母とされる神。
玉依姫の子とされる神。山神の正体であろうと推測された外界の神。
賀茂別雷神の祖父、玉依姫の父とされる神。初代金烏がこの神であったと推測されたがすでに名が変わっていた。
用語
体から意図的に生み出し身に纏う、体の一部とも言える黒い衣。鳥形に転身する際には身に付ける必要がある。着物を買う余裕のない山烏などはこの羽衣で生活するため、宮烏等上流階級の者からは羽衣姿でいることは恥とされている。
貴族の下着は人間同様に布製だが羽衣で生活している者らは下着も羽衣で編んでおり、定期的に編み直している。水浴びや風呂に入ることをしばらくしないと、いくら羽衣を編みなおしても全体的になんとなく薄汚くなってしまう。
人間でいうところの「髪の毛の編み込み」のようなもので、平民が通常編んでいる羽衣は簡単な三つ編み、勁草院の制服などはちょっと複雑なヘアアレンジといった感覚であり、一度編み上げてしまえば後は放っておいても大丈夫だが、寝たり運動することによって多少崩れる。乱れてしまったのに気付いたら一回ほどいて綺麗に結い直す。
脱ぎ捨てることも可能。体からしばらく離していると、氷が融けるように消えてしまう。
正式な日嗣の御子になるために必要な儀式。后がいないと行えない。
祖父や父の官位で半ば自動的に官位が決まる制度。
昔話を元にした、相手への侮辱を含めた呼び方。(※この昔話の『若宮』は奈月彦ではなく昔の若宮殿下のこと。)
―昔話―
遥か昔、まだ桜花宮が出来る前のこと。ある没落した高貴な姫が傷ついた烏を助けた。元気になった烏はお礼に、かつて一目見た若宮さまともう一度たけでも会いたいという姫の願いを叶えた。そして、姫に一目惚れした若宮は、彼女にその場で求婚をした。
ところが、婚礼の為に着飾った姫を見て、烏はたちまち姫に受けた恩を忘れて若宮と結婚させたことを後悔した。そして何とかして二人を破談させようと考えた。
烏は美しい姫に化けて姫が若宮に嫌われる様仕向けたり、悪口を言ったりしたが、全く効果がなかった。挙げ句、烏は姫をさらって逃げようとし、若宮に羽をくくって崖から落とされてしまった…。
この昔話の中で烏が姫に化けていた時の呼び名を“烏太夫”といい、見た目を美しく取り繕ったのに、宮鳥になれる資格が無く、次々と馬脚を表すような間抜けな様を示す。
庶民の間では、烏太夫の昔話を元にした芸事などもあり、とても有名である。
また、貴族の言う“烏太夫”と、民間(山鳥)に広まっている“烏太夫”の話は大分異なっていて、貴族で広まっているのは愚かな笑い者の話であるのに対し、民間では兄烏と妹烏の悲劇の物語として広まっている。
曰く、遥か昔、高貴な姫と恋に落ちた兄烏と、若宮に見初められ宮中に上がった妹烏がいた。
しかし、高貴な姫は若宮へと心変わりし、若宮の方も妹烏に飽きて、この姫の求婚になびいてしまう。
結局、邪魔になった兄妹は、それぞれが愛していた者達の手によって、無残な最期を遂げてしまった。
これこそが民間の間で“烏太夫”を示す物語である。
生まれながらの戸籍を捨て男として朝廷で働く女。落女になると二度とただの女に戻れない代わりに、朝廷においては男と同等の扱いをしてもらえるようになる。落女になる者の多くが元は皇后付きの女官である事が多い。
夜の辺境の地であるはずのない明かりが見える現象。迷子になった者を惑わす“お化け”であるされ、不吉なものと言われている。不知火の正体は外界の人間界の夜景。夜景を見慣れない雪哉からはその光景は「星が堕ちている」ように見え、ひどくおぞましく不吉に感じている。
死刑、山内追放の次に重い刑罰。三本目の足を切り落とし強制的に鳥形を取らせ、生涯にわたって馬としての労役を課す刑。鳥形の時に現れる三本目の足は八咫烏にとって「山神に与えられた神性の証」であり最も重要な器官であるとされ、失うと二度と人形には戻れなくなる。
・卵誕(らんたん):母親が卵を産み落とす。
・啐啄(そったく):三月(みつき)の抱卵の後、卵から孵る。
・成人(せいじん):初めて成人を取る。
関所前の広場に設けられた舞台で毎日決まった時間に演じられる。その日山内で起こった出来事や、役所からの通達などを楽師や芸人たちが歌ったり踊ったりして面白おかしく伝える役割を持つ。職にあぶれがちだった東領の楽師達に公的な地位を与え、文字の読めない者達にもきちんと中央の知らせが届くようにという配慮による、雪斎の新しい施策の一環。
若かりし頃の雪斎が猿を殲滅した活劇を歌劇にしたもので、猿の襲撃があった場合でそれを退けたことが確認されると必ず大宅座で演じられる演目。
中央から認められた楽師や芸人、舞人をまとめた呼び方。
絵師の肉筆画を多色刷りの技術によって限りなく忠実に再現した風物絵や役者絵、美人絵などを指す。特に庶民が絶対に目にすることのない美姫や貴公子、宗家の近衛である山内衆などの姿を描いた綺羅絵のことを『雲上絵』と呼ぶ。
行事と暦
春
【暦】
- 梅見月(うめみづき)=ニ月
- 桜月(さくらづき)=三月
【行事】
人形(ひとがた)に身の穢れを移し、川に流す行事。貴族にとっては娘の健やかな成長を願う行事であるため、家の威信をかけて姫の形代となる雛人形を用意する。桜花宮での上巳の節句は五つある節句のうちで唯一、若宮の来訪が定められていない行事。
夏
【暦】
- 橘月(たちばなづき)=五月
- 涼暮月(すずぐれづき)=六月
【行事】
秋
【暦】
【行事】
女子の技芸上達を願うと同時に女子から男子への愛の告白が許される日。昔は一年をかけて二着の晴れ着を縫い、一つは自分、もう一つは意中の男性に送ったという。しかし今では、ほとんど縫われた着物に姫が一、二針だけ針を通した物を儀式に着るのが通例となっている。
冬
【暦】
【行事】
書物
第一作『烏に単は似合わない』の冒頭で書かれている書物。かつての宮烏が地方をめぐり、「山烏」の間に伝わる話を聞き書きした書物、とされている。
第二作『烏は主を選ばない』の冒頭で書かれている書物。皇太子の教育のための書物は作成する際に、編纂時にあぶれた小話をまとめたもの。
第三作『黄金の烏』の冒頭で書かれている書物。初代金烏が山内はかくあれと語った言葉を当時の白烏が書き留めたもの、とされている。
第四作『空棺の烏』の冒頭で書かれている書物。山内すべての寺社の由来をまとめた本。原本は[[白烏>#hakuu]]が所有している。
物・道具
官人の身に付ける衣装。官位が高くなるほど色が濃くなる。赤、緋、緑などの官服は藍の官服よりも上の位にしか許されていない。詳しくは「官位と色について」を参照。
東家のみに伝わり、演奏方が秘伝とされている楽器。
和琴や箏などに比べて大きい琴である。
琴柱を用いながらも同時に弦を押さえる場所によって、音程を変えることができる。
白い水蛇の背に生えた茨の花から採れるもの。西領でしか取れない。
生まれてから清めの水しか与えられずに育った、鵺の両眼より作られたもの。西領でしか取れない。強い匂いがする。
中央の所により採れる、特別に滋養のある水。万病に効いたり、植物の肥料になったりする。地方では薬とされている。
山内で最高級の照明道具。燃料となるのは主に砂糖の欠片で、炎のように光るが熱さは全く感じられない。他の物に燃え移る心配もない。朝廷での書類仕事などに重宝されているが、そのぶん扱いが難しく、鬼火そのものを採ることも困難であるから、普通の八咫烏には手の出ない代物である。中央では、紫宸殿、招陽宮、桜花宮、明鏡院で使用されている描写がある。『黄金』で栖合が猿に襲撃され、奈月彦が紫宸殿にて緊急招集をかけた際、金烏の声での鬼火灯籠はひとりでに燈をつけていた。
矢立て型や大烏の首にかける形のものがある。『黄金』地下街の隧道を進む場面では朔王が貸し出した矢立て型の鬼火灯籠が使用された。矢立てであれば墨壺にあたる部分が球形の硝子となっており、蓋を開けると青白い光の粒が中央でふわふわと浮いている。これは休眠状態で、砂糖を入れると明るくなる。蓋を閉めると光は遮られる。隧道を進む際、雪哉は半刻ほど光る金平糖を四つ渡された。
『空棺』治真を救出する際は、大きな飴玉が燃料に用いられた。
光は白、蜜柑色の描写がある。
遅効性の毒がある。
乗り物
一般的な動物の“馬”ではなく鳥形(ちょうけい)になった八咫烏を馬と呼び、乗り物又は車を引かせる。馬となる八咫烏は生活に余裕がなくなった最下層の者であり、もともとは同じ八咫烏。裕福な者と契約して人形(じんけい)を取ることを捨て馬として生きている。
契約によって馬となった者は主人によって三本目の足を特殊な紐で縛り付けられ、許可なく人形を取れないようになる。
※「馬」と書いて「おおがらす」、「大烏」と書いて「うま」と読ませる記述があるためややこしいがどちらも同じ物と思われる。(詳しく違いが判る方訂正お願いします。)
飛んで運ぶには大きに荷物などは湖(うみ)を使って船で運ぶ。飼いならされ毒を抜かれた蛟(みずち)に曳かせている。
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